井沢 元彦著 逆説の日本史

 仏教伝来依然、日本人にとって、「遺体を焼く」ことはむしろ冒涜であったが、持統天皇が「今後天皇仏教式に火葬すべし」という命令を下した。その目的は「死穢」にまみれた都を捨てるとい習慣を、仏教式の火葬という葬礼を取り入れることにより変えることであった。この時代から藤原京という中国風の固定した首都が初めて日本の歴史に登場した。

 家康は、天海僧正のアイデアで、生前に宣言して自ら神となった。

家康は、権現様であり、朝廷に奏請して東照大権現という神号を賜った。「東照」は普通に読めば「とうしょう」だが、大和言葉で読めば「アズマテラス」である。これは天照大神つまり「アマテラス」の子孫であった天皇家がこれまで治めていたが、今後は「アズマテラス」の子孫である徳川将軍家治めていく、ということであった。