矢部宏治著 知ってはいけない 隠された日本支配の構造

 日米地位協定の考え方補足版 1983年12月(外務省が作成した高級官僚向けの極秘マニュアル)には、次のような記載がある。

〇 アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。

〇 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することができず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

 だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。

 従って、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。

 2016年11月、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」と伝えたことで、領土返還交渉がゼロ回答に終わることは確定していた。

 本土から那覇空港に着陸する民間航空機の航路が、嘉手納や普天間の米軍基地に離着陸する米軍機の航路と交差しているため、30キロ以上手前から、高度300メートル以下で飛ぶことを義務付けられている。

 外国軍の軍用機が安全な角度で離着陸できるよう、自国の旅客機は非常に危険な低空飛行を強いられている。

 航空法特例法 第3項 「前項の航空機(=米軍機と国連軍機)については、航空法第6章の規定は適用しない」

 適用しないとされている「航空法第6章」とは、航空機の安全な運行について定めた法律。

 要するに、米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしてもいい、それは合法だとなっている。

 2016年12月沖縄の北部訓練場の半分以上にあたる4000ヘクタールが日本に返還された。

 しかし、新しく6つのヘリパッドが高江集落を取り囲むようにして、つくられる計画になっている。

 さらに2020年からは、より一層危険とされる空軍仕様のオスプレイも、横田基地に10機配備されることになっている。

 日米合同委員会の公式議事録 1953年9月29日には、「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜査、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」

 1959年の「砂川裁判・最高裁判決」は、マッカーサー駐日大使が、外務大臣に対してそこに直接上告しろと指示した、当の最高裁の長官(田中耕太郎)にみずから接触した結果のもの。

 駐日大使の政治工作と、その過程で起きた情報漏洩の問題に、きちんと向き合い、検証・清算できない日本の最高裁は、まだ誕生してから一度も正常に機能したことがないとさえ、言える。

 1951年9月8日、「吉田・アチソン交換公文」という名の条約が結ばれた。 

 日本は当時、朝鮮戦争に関して行っていた、様々な米軍への軍事援助を、「独立後も変わらず継続します」という内容。

 その後1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭で「指揮権密約(戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う)」を結んだ。

 現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱のなかでできた、明らかに違法な条約や協定に基づくものだ。こうした極端な不平等条約は改正させて欲しいと交渉すべきである。